メゾン・ド・ふわふわ

「かねもうけブログ」ではありません。

なぜ視聴者がアイドル女優やイケメン俳優の「声優ごっこ」に付き合わなければならないのか。

 世界を股に掛ける女スパイが華麗なアクションを駆使し、敵の包囲網を鮮やかに潜り抜ける。息を呑むようなカーチェイスが終わり、女スパイが主人公に極秘データを渡す。

 「コレガ、データヨ」

 映画館の音響システムがその一言を出力した瞬間、劇場の空気は凍りつく。スクリーンの中では世界の危機が描かれているというのに、スピーカーから響いてくるのはひどく平坦で牧歌的な響きだ。そのあまりの温度差に、観客の意識は一瞬にして物語の舞台から現実へと引き戻される。

 

 こうした悲劇を引き起こすのが、時に「謎の力」によって大作映画の吹き替えにキャスティングされる、今をときめくアイドル女優(あるいはイケメン俳優)たちである。

 ぼくは彼女たちがテレビ画面の中で見せる可憐な微笑みや、圧倒的な透明感(なんだそれ)を否定するつもりは毛頭ない。しかし、マイクの前に立った彼女たちが披露する演技が、しばしば「台本の読み上げ」の域を出ないという事実にはやはり真顔になってしまう。

 どれほど映像がスタイリッシュに作り込まれていても、命がけの修羅場にいるはずのヒロインから「キャー、タスケテー」とフラットでプレーンなヴォイスが響けば、それはもはや洋画ではなく贅沢な予算を使った学芸会である。

 

 もちろん、この現象の裏で糸を引いているのがマーケティング戦略という名の「大人の事情」であることは百も承知だ。

 話題性を生み出し、普段はそのジャンルに触れない層を劇場に引っ張ってくるための客寄せパンダ、もとい広告塔としての役割を彼女らは立派に果たしている。テレビのワイドショーでは「映画の吹き替えに初挑戦!」と華々しく取り上げられ、初日の舞台挨拶ではファンが声援をおくる。そこまでは完璧だ、ご自由にどうぞ。

 

 しかし、そのプロモーションのツケを本編の上映時間中にまるまる支払わされるのは、純粋に作品を楽しみにやってきた一般の視聴者である。

 音声のクオリティがあまりに低すぎると、作品が持つ本来の魅力や世界観を十全に伝えることはできない。字幕版を選べば済むという意見もあるが、一般に字幕よりも吹き替えの方が含まれる情報量が多く、訳自体の精度も高い。また、画面が目まぐるしく変わるアクション映画などでは吹き替え版の需要はさらに高くなる。

 それなのに、話題性のためだけにキャスティングされた彼女らによる「ド下手くそな演技(前半部分でオブラートを使い切ってしまったんだすまんな)」によりに苦行を強いられるのは、客としてあまりに理不尽な仕打ちだ。

 せめてマイクの前に立つのであれば、発生や演技に関する付け焼き刃ではない徹底的な訓練を積むか、あるいは自身の声の質や演技力に見合った身の丈に合う役どころを選んでほしい。

 

 誰もが納得するような圧倒的なポテンシャルを見せつけられる天才ならまだしも、ただ知名度の高さだけで職域に土足で踏み込まれては、ファンもプロの声優も、そして何より作品そのものが浮かばれない。

 そろそろ配給会社は、視聴者が求めているのは「スターの不慣れな声優初挑戦」ではなく、「作品の世界に没頭させてくれる本物のクオリティ」であるという単純な事実に気づくべきだ。貴重な映像作品を、これ以上彼女らの「声優ごっこ」の練習台にしないでいただきたい。

 

 

おわり

ドラマ『THIS IS US/ディス・イズ・アス』における、例の吹き替えについて。

 『THIS IS US/ディス・イズ・アス』という素敵なメリケンドラマがある。ぼくはこれが好きで何度か観ているのだけれど、やはりシーズン1の完成度は至高の一言に尽きる。

 もちろんシーズン2以降も物語は続いていくのだが、あの独特の空気感はシーズン1特有と言えるだろう(序盤が最高に面白くそこから右肩下がり、メリケンドラマとはそうしたものだ)。

 

 しかし、その傑作であるシーズン1をじっくり堪能しようとディスプレイの前に座るぼくを、毎度試練が待ち受ける。スピーカーから流れてくる、キャラクターのイメージを盛大に揺るがす「例の吹き替え」だ。

 どうしたことか、メインキャラクターの一人ケヴィンの声優に、声優経験ゼロという某イケメン俳優をそのまま配役するという力技が炸裂してしまったのだ。結果として、周囲を固める本職声優たちによる熟練の演技の中で、彼のピュアすぎる発声は異次元の存在感を放ってしまった。

 緊迫した場面であっても、まるで彼の自宅のリビングで台本の確認でもしているかのような、どこまでもナチュラルで平坦なボイスがスピーカーから響き渡る。感情の起伏が迷子になったその初々しい演技は、感動的なドラマの雰囲気を一瞬でシュールなコメディへと変貌させる破壊力を持っていた。

 「ポップスター的イケメン俳優から演技派俳優への転向に苦悩する」というケヴィンの役柄を「某イケメン俳優によるピュアヴォイス」が演じるというのは、あまりにもマッチし過ぎて何らかの皮肉が含まれているのではないかと勘ぐってしまう。

 一体どこのプロデューサーが、この実験的なキャスティングにゴーサインを出したのだろうか。話題性を狙った大人の事情か、あるいはプロデューサー個人の趣味なのかは謎に包まれているが、声優の職人技を必要とするドラマにおいてこの采配はあまりにも攻めすぎていた。

 攻めすぎた結果、恐らく視聴者から多くの「ご意見」が殺到したのだろう。シーズン2からは実力派の本職声優へとバトンタッチされるという、異例の軌道修正が行われたのであった。それは良いのだけれど、おかげでシーズン1のケヴィンだけが、その瑞々しい発声を未来永劫響かせることになってしまった。

 

 あのナチュラルすぎる声を聴くたびに、どうしても字幕版への切り替えボタンへとカーソルを動かしてしまう。何故よりによって、ぼくが繰り返し観たいシーズン1に限ってあの声なのか。頼むから録り直してくれよ……。

 

おわり