
世界の終わりが目前に迫るなか、ダイナーのカウンター越しに繰り広げられる人間模様を描いた『While We Wait Here』は、心理的恐怖と日常の営みを見事に融合させた稀有なインディーゲームだ。
プレイヤーに求められるのは、迫りくる破滅から逃げ惑うことでも解決策を模索することでもなく、注文されたハンバーガーを焼き、パンケーキをひっくり返し、客にコーヒーを注ぐという極めて平凡なルーティンワーク。
窓の外で何が起きているのか分からないという不気味な静けさと、鉄板の上で肉が焼ける平和な音が織りなすコントラストが、プレイヤーの神経をじわじわと逆撫でする。
本作の魅力は、絶望的な状況下でダイナーに駆け込んでくる客たちとの濃密な対話劇にある。それぞれが独自の背景や秘密を抱えており、彼らが下す選択や紡ぎ出す言葉は、どれも人間の本質を鋭く抉るものばかりだ。
プレイヤー自身の対応や調理の選択によって物語は細かく分岐し、誰を救い、誰と最期を迎えるかという重厚な倫理的決断を迫られる。
ローポリゴンで描かれた意図的な粗さと、暗く煤けたビジュアルスタイルが、1970年代から80年代のサイコホラー映画を彷彿とさせる極上の没入感を生み出している。
ただ驚かせるだけのホラーに飽きた者にこそ、この静かで、しかし息が詰まるほど濃密な終末の対話劇を体験してほしい。

宇宙の深淵にぽつんと浮かぶ、一隻の調査船。地球へ向けて孤独な旅を続けるキャプテンの前に立ち塞がるのは、倫理の天秤を揺さぶる奇妙な選択肢の数々だ。
『The Captain』をプレイしていると、ある日本の作家が脳裏に浮かぶ。SFショートショートの名手、星新一である。一見すると無関係に思えるインタラクティブなゲームと、昭和の文芸作家。しかしこの両者は、その根底において驚くほど美しく響き合っている。
星新一のショートショートの最大の魅力は、削ぎ落とされた設定が生み出すテンポの良さと、物語の背後に潜むアイロニィだ。多くの物語の結末には、人間のエゴや社会の矛盾を突く、ピリリと辛いブラックユーモアが待っている。
本作がプレイヤーに提供する体験も、まさにこれと同質である。
銀河を股にかけた壮大な冒険でありながら、一つひとつの星系で遭遇するイベントは、まるで数ページで完結するショートショートのようにコンパクトで、かつ濃密だ。
未知の生命体との交渉、狂気に陥ったAIの処理、あるいは限られた資源を巡る道徳的ジレンマ。ゲームは時にユーモラスに、時にシリアスにプレイヤーに決断を迫る。
何より星新一的であるのは、その選択がもたらす結末の多様性と皮肉さだ。良心に従って行動した結果が最悪の悲劇を招くこともあれば、冷酷に下した合理的な判断が巡り巡って皆を救うこともある。
正解のない宇宙の不条理と向き合い、苦いユーモアを含んだ結末を突きつけられたとき、プレイヤーはかつて文庫本のページをめくったときと同じ、ゾクりとするような知的興奮を覚えるはずだ。
短い時間のなかに宇宙の広大さと人間の滑稽さを凝縮し、最後にはプレイヤーの価値観を揺さぶる。『The Captain』は、現代のデジタルな原稿用紙に書かれた、極上の「プレイする星新一」なのである。
だからこそ、ゲームとしての「蛇足」が惜しまれる。
本作には宇宙船同士の戦闘パートが用意されているのだが、これが物語の持つ洗練されたテンポ感を著しく削いでしまっている。
星新一のショートショートの醍醐味が、余計な夾雑物のないスピード感と奇妙な状況設定にあるのだから、本作もまた小細工なしの純粋なアドベンチャーゲームに徹してほしかった。あの悠長な戦闘に時間を取られるくらいなら、未知の星々と不条理な選択の連鎖に、もっと没頭していたかった。
戦闘というゲーム的記号を削ぎ落とし、純化された物語体験として完成させていれば、この奇妙な宇宙の旅は、さらに深くプレイヤーの心に刻まれていたに違いない。
おわり