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日本語のはなし。

 日本語のはなし。

 

 ぼくが大学で就職関連の仕事を請負うようになって、結構な年月が経つ。専任職員時代も含めると、かれこれ十年ほどかしら。

 で、そんな日々の中でナウなヤングたちの書く文章について気付いたことがこれ。

 

 「句読点の消失(特に句点)」と「一人称『自分』の流行」。

 

 前者については、例えば「」内の文末に句点を付与するか否かで、ぼくも表記が揺れてしまうことが多々あるわけだけれども、最近の学生ちゃんたちにおいてはそんな次元ではない。

 エントリーシートを添削しようとすると、そもそも一つも、一個たりとも、「。」も「、」も存在しなかったりすることもある。「句読点どしちゃったんだよオイ」と。

 

 後者の「一人称『自分』」については、句読点問題以上に広まっているように感じる。

 模擬面接でおもむろに「自分は~」などと語られると、「軍人さんかな?」と思ってしまい、そのあとの自己PRが頭に入ってこなかったりして。

 そんな時は、傷つけないようにやんわりと「面接や公の場での一人称は『私』にしておいた方が無難だよ」と伝える。企業に提出する履歴書やエントリーシートに関してもそう。

 彼らは傷つきやすい年ごろだろうから、こちらとしても色々と気を遣うのだ。なにしろぼくは優しいから。

 

 言葉は生きものだから、その時々でかたちを変えていくものだけれど、少なくとも「今」採用の権限を持っているおじさんたちは「句読点の消失」や「一人称『自分』」に違和感を覚えるひとの割合が高いと思う(「ら抜き言葉」も)。

 そんなわけで、「就職支援のひと」という立場上それらを直すよう指導せざるを得ない。

 

 では、こういった言葉が普及をみせるそもそもの原因は何なのか。大きな要因の一つが「twitterやLINEに代表されるSNS」なのかなと思う。区切る必要もないほどの短文をやり取りするうちに、句点を入力する必要性が(彼らの中で)薄れていったのだろうな。

 そしてそこから「ネットの掲示板」であったり「スマートフォンでプレイするゲーム」に伝播して彼らの間でにおけるスタンダードになったのかもしれない。

 

 彼らが就職して、各業界で採用の権限を持つ頃に就職試験の場でも前述の日本語が認められるようになるのかもしれないなあ。それまであと二十年ぐらいかな?

 それでも、「ら抜き言葉」であったり「句点省略文章」の子は官公庁や教育業界には就職できないだろうから、結局のところ「正しい日本語」とされるものは変わらないのかな。

 

 まあいいや、どうでも。